妄想科学シリーズ(3) ~非科学と似非科学~

なんと2日ぶりにブログを書いている。そんなに暇なのかと思われるかもしれないが、なぜか忙しい時に限って余計なものを書きたくなるものだ。
前々回が4018日ぶり、前回が1098日ぶり、今回が2日ぶりなので次回は、数分後には書きそうな勢いである。

妄想科学シリーズ(1)で、「非科学」を「存在しているが科学的に説明できないもの=科学ではないもの」と定義した。非科学と似ている言葉として、似非(えせ)科学という言葉があるが、非科学と似非科学は全く違う。
似非科学は実際にはありえないことをいかにも科学的にあり得そうに言うことで、言わば嘘の科学である。

一方、非科学とは、科学ではないが実際に存在していて本当のことである。私の考える非科学とは、宗教とか法律とかである。つまり、思想とか決め事など、自然現象から必然的に決まるのではなく、主観的にしか決まらななさそうなことを「非科学」として定義したい。哲学とか文学なども非科学かなと思うが、「科学哲学」「人文科学」なんて言葉もあるようなので微妙なところかもしれない。
科学と非科学なんて考える人がいるのかなと思って検索してみると、なんと以下のような本があった。

科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書) | 中屋敷 均 |本 | 通販 | Amazon

そのうち読んでみたいと思ったけれど、まだ読んではないのでこの本のいう科学と非科学とは違うかもしれないが、持論で行こうと思う。
本の出版日が2019/2/13なので、少なくともこの本よりは私の方がわきに科学と非科学について言及していたことになる。いまのところ私の方が、元祖「科学と非科学」だ。

題名にある、妄想科学とは、非科学かもしれないが科学かもしれない。科学的に考えても本当にあるかもしれないけれどないかもしれないということを妄想したものである。少なくとも間違ってはなさそう、嘘ではないということで、似非科学とは異なる。

とはいえ世の中には似非科学が蔓延している。似非科学に似た言葉として「疑似科学」ということもあるようだが、誤った科学という意味では、ほぼ 似非科学疑似科学 といってよいだろう。Wikipediaによれば、似非科学というは、だますための科学という意味あるようだ。

妄想科学とは、嘘の科学や誤った科学を正しいかのように言うものではなく、科学ではないかもしれないけれど、科学かもしれないことを私が勝手に妄想するものである。

というわけで、ここでは科学と非科学の狭間(はざま)である妄想科学を考えていきたいと思う。